ファースト電子開発株式会社 | |
電気学会誌 電気学会 創立125周年 記念特集号で 「大特集:スポーツと電気で弊社のスポーツタイミング技術」が紹介されました。 ファースト電子開発(株)の開発環境 |
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1. はじめに
我が国の電気電子技術は世界トップレベルにあるが,世界的に有名な大企業だけでなく,中小企業の中にも特殊な分野における高い技術力で世界に貢献している企業が多い。今回取材したファースト電子開発㈱は,社員数5名のいわゆる町工場でありながら,無線技術を中心に高い技術力を有し,さまざまなニーズに応えるためのアイディアから,開発・設計・試作・製造までを一貫して責任を持つ「特注品開発型メーカ」として国内外から高い評価を得ている。 これまでに,無線・無線応用機器,マイコン制御機器,スポーツ競技用計時システム,センサー応用機器などさまざまな電子機器を開発している。中でも,欧州のスキー連盟がスキー競技用計時システムを世界に公募した際には,スイスの高級時計メーカであるタグ・ホイヤー社(TAG Heuer)(1)とともに,ファースト電子開発㈱が有する高い無線技術を用いてスキー競技用計時システムを開発した。開発したスキー競技用計時システムは海外のライバル社を抑えてヨーロッパのスポーツ競技の公式時計に採用され,発売以来,「タグ・ホイヤー」のブランド名で世界中に4000台以上が出荷されている。 今回,電気学会125周年記念大特集「スポーツと電気」の中で,町工場でありながら電気電子工学に関する独自の高い技術力を持ち,国内はもとより世界にも活躍の場を拡大しているファースト電子開発㈱を取材し,会社設立の経緯,開発方針や技術の伝承などを含めて記事とすることとなった。本稿では,取材を通じて得られたファースト電子開発㈱の概要とスキー競技用計時システム開発の経緯などを報告する。 2. スポーツ競技における計時と精度1896年に開催された第1回アテネオリンピックでは,ストップウオッチを用いた人間の目視視認による計時が行なわれ,1秒単位の記録が採用された。1920年に開催されたアントワープオリンピックでは,100分の1秒が測定可能なストップウオッチが公式計時に採用され,公式記録が5分の1秒単位で記録されるようになった。10分の1秒単位が公式記録になったのは,1932年に開催されたロサンゼルスオリンピックからである。このロサンゼルス大会からは,全種目の計時が一社に任されるようになり,これ以降,計時の担当企業は「公式計時」,「オフィシャルタイマー」などと呼ばれるようになった。 1948年のロンドンオリンピックでは,スタートピストルと連動した写真判定カメラが採用され,1952年のヘルシンキオリンピックでは,100分の1秒単位の記録を可能とした電子計時,タイムレコーダーが初めて導入された。手動ストップウオッチによる計時では,審判員の反応の差による誤差が避けられず,複数(10人程度)の審判員の平均値を取るなどの対応が行なわれたため,電子計時の出現はスポーツ競技の計時のあり方を根本的に変える画期的なものであった。1972年のミュンヘンオリンピックからは,トラック競技は100分の1秒,競技場外は10分の1秒単位が公式記録となった。 現在の計測技術を用いれば1000分の1秒の計測も可能である。しかし,例えば100mを10秒で走る選手は,1000分の1秒では1cm走ることになり,競技場のトラックの誤差が1cmあれば記録に1000分の1秒の誤差が生ずることになる。世界各国の競技場にミリメートルの精度を要求することは非現実的であることなどを踏まえ,IOC(国際オリンピック委員会)は,現在,100分の1秒単位の記録を採用している。 |
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3. ファースト電子開発㈱の概要(2)
3・1 ファースト電子開発㈱の設立と概要 ファースト電子開発㈱は,東京都板橋区のマンションの一室にあり,大学の研究室・実験室のような雰囲気である。室内には,製品開発に必要となるさまざまな電子機器が整然と並べられている〔図1〕。1967年に伊藤義雄社長によって創業されたファースト電子からスタートし,1972年に現在の社名に変更され,2013年には創立46周年を迎えた。伊藤社長は,芝浦工業大学 電子工学科を卒業後,沖電気工業に入社し,電気電子工学の技術者として無線技術に関する研究開発業務に3年余り従事した後,ファースト電子を設立した。72歳の現在も若い技術者と共に開発の現場に立ち続けている。社名にある「ファースト(First)」には,「技術で1番を目指す」という伊藤社長の強い思いが込められている。 ファースト電子開発㈱は,設立当初,アマチュア無線の製品などを開発し,一般販売を中心に事業を展開していた。しかしながら,製品発売後まもなく後発メーカに類似品を出され,収益の低下を幾度となく経験してきた。このような経験を踏まえ,現在は,他社に簡単にまねのできない高い技術力に基づく価値の高い製品を多品種少量生産し,高い技術力の維持と収益性の確保を製品開発の基本方針としている。 ファースト電子開発㈱は現在,伊藤社長を含む5名の技術者で構成されており,それぞれの技術者は無線・通信技術,マイコン制御技術,センシング技術などを中心とする多様な専門分野を持っている。現在は,無線・無線応用機器,マイコン制御機器,スポーツ競技用計時システム,センサー応用機器などを開発・設計・製造し,国内はもちろんのこと,ヨーロッパ,アメリカ,アジア,アフリカ各国に広く輸出するなどグローバルに事業を展開している。図2 スキー競技用タイム計測システム 3・2 ファースト電子開発㈱の特徴 ファースト電子開発㈱の特徴は,無線・通信技術,マイコン制御技術,センシング技術を基礎として,さまざまなニーズに応える「特注品開発型メーカ」であり,ニーズに応えるためのアイディアから,開発・設計・試作・製造までを一貫して責任を持つことを基本としている。起業の中でも,①独立性,②新規性,③開発志向,④成長性を有する事業は,特に「ベンチャー」と呼ばれているが,当にファースト電子開発㈱はベンチャーと呼ぶべき事業である。伊藤社長によれば,我が国のメーカは,「製作型メーカ」と「開発型メーカ」に大別できるが,その構成比率は「製作型メーカ」が圧倒的に多く,全体の約95%を占めており,「開発型メーカ」は5%程度に留まっているとのことである。ファースト電子開発㈱も創業当初は,無線技術を活かした一般向けの製品を比較的大量に生産する方針を取っていたが,その後は特注品開発型メーカとしての方針を明確にし,他社に簡単にまねのできない高い技術力に基づく価値の高い製品を多品種少量生産し,高い技術力の維持と収益性の確保を実現してきた。以下では,ファースト電子開発㈱の技術開発と人材育成を中心に特徴をまとめてみよう。 ファースト電子開発㈱では,これまで10人程度の少人数の技術者集団がそれぞれの自立性と独立性を保ちながら,有機的な協力・連携を持ちつつ,技術開発を行ってきた。それぞれの技術者は,無線・通信技術,マイコン制御技術,センシング技術などの異なる専門分野を持っているが,大企業に見られるような分業は行わず,個別の開発テーマをそれぞれの技術者が責任を持って担当し,開発・設計・試作・製造の一連の業務を担うことを基本としている。 つまり,それぞれの技術者が仕事全体を把握し,開発から製造に至る一貫した業務を担いつつ,他の技術者との密接な連携を目指した開発方針により,縦割り・分業の弊害を軽減することで,単なる開発・試作レベルにとどまらない,製品製造に直結する効率的な開発を可能としている点にファースト電子開発㈱の大きな特徴がある。 ファースト電子開発㈱では,上述のような技術開発方針に合致した形で,若手技術者の育成が行われている。伊藤社長は若手技術者に対して,①失敗を恐れず自ら挑戦すること,②開発・設計・試作・製造の一連の業務全体を把握して責任を持って仕事をすること,③実験と検証を繰り返し,十分な準備・解析を怠らないこと,④常に最新の技術を学び続けること,の重要性を説き,実践させている。このような育成方針により,ファースト電子開発㈱では,概ね3年程度で開発・設計・試作・製造の一連の業務全体を担える一人前の技術者に成長するとのことである。 |
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3・3 ファースト電子開発㈱の主な製品と技術(2)
ファースト電子開発㈱は,無線・通信技術,マイコン制御技術,センシング技術を活かした種々の製品を開発している。これまでに開発した代表的な製品は以下の通りである。 (1) スポーツ競技用システム (2) 公共鉄道用システム (3) 宇宙通信装置 (4) 公共交通用システム ファースト電子開発㈱が,スポーツ競技用タイム計測システムの開発を手掛けることとなったきっかけは,欧州のスキー連盟がスキー競技用の無線タイム計測システムを世界に公募したことにある。この公募を受けて,1989年1月,タグ・ホイヤー社 日本総代理店を通じて,スポーツ競技用タイム計測システムの開発依頼がファースト電子開発㈱にあった。 ヨーロッパスキー連盟が要求する仕様は,スキーヤーのタイムを正確に計測するために,無線データ送信・受信のトータル遅延時間を5ms以下とすることであった。アルペンスキーのコースは,全長が2000~3000mにおよび,標高差が数百メートルある上に,気温,風向き,降雪など気象条件も極めて不安定である。このため仕様温度範囲も通常の計測機器の常識を越えた-30℃~60℃という厳しいものであった。 このような厳しい仕様・基準に対して伊藤社長は,ファースト電子開発㈱の無線・電子技術(特にアナログ方式)とタグ・ホイヤー社の精密時計技術の融合でスポーツ競技用の無線タイム計測システムの開発が可能と考え,開発を引き受けた。この時点では既に,ロンジンなどのスイス時計の名門グループが参入していた。 最終的な目標は,上述の厳しい仕様・基準を満足するタイム計測システム,すなわちスタートバーやスタートピストルの発した複数のスタートシグナルとゴール地点の光電管が感知した信号を無線伝達し,マイクロコンピュータで集計処理した上で,競技者ごとのタイムを算出して電光掲示板で掲示し,印刷出力するシステムの開発であった。スタートバーのスタート信号を受けて電波を発信し,ゴール地点の受信機で信号を受信し,それを検波・識別してマイクロコンピュータにタイムデータ(タイミングデータ)を送ることになるが,無線で送られた信号を検波して識別するのに相当な時間が掛かるため,この時の全遅延時間は相当大きくなることが明らかになった。ロンジンを始めとする海外のライバルメーカがディジタル方式で開発を進めたのに対して,ファースト電子開発㈱では,アナログではディジタルよりも遅延が起こり難いことを踏まえ,得意のアナログ方式で開発を進めた。 このようにして送信側の課題を解決する一方で,アナログ電子機器に関する豊富な経験を活かしてデータ遅延に最も深く関わる受信回路・識別回路を重点的に研究することで,参入していた企業の中では最も短い約6ヶ月の開発期間で開発に成功した。完成したスポーツ競技用タイム計測システムの性能は,無線データ送信・受信のトータル遅延時間が1ms以下であり,ヨーロッパスキー連盟の要求する仕様である5ms以下を大幅に上回る高い性能が実現された。 1989年10月には製品を出荷し,ヨーロッパでスポーツ競技の公式時計に採用された。その後も陸上競技,自動車レースなどの競技に加え,警視庁の白バイ隊競技などにも使用されており,これまでの累計出荷台数は4000台を越え,世界シェアも約7割に達している。 |
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5. おわりに
今回,電気学会125周年記念大特集「スポーツと電気」の取材として,ファースト電子開発㈱を訪問し,伊藤社長にインタビューをさせて頂いた。1970年代の第一期「ベンチャーブーム」の時期に伊藤社長によって起業されたファースト電子開発㈱には,伊藤社長の考え方や生き方が強く反映されている。最後に,インタビューを通じて感じたこと,および学会への要望について述べることとする。 伊藤社長の第一印象は,「溢れるパワー」である。座右の銘は,「諦めない」であり,アイディア手帳をいつも持ち歩き,アイディアが思い浮かべば手帳に書き込むことを習慣としてきた。「50歳を過ぎて勉強不足を痛感し,再び勉強を始め,72歳の現在も学び続けている。」と楽しそうに語る伊藤社長がとても印象的で,思わず佐藤一斎の言葉「少くして学べば,則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば,則ち老いて衰えず。老いて学べば,則ち死して朽ちず。」(佐藤一斎『言志晩録』)を思い出した。学生や若い技術者へのアドバイスとして,「大きな夢や目標が若者を育てる」,「幅広い分野に敏感なアンテナを張ること」,「諦めないこと」を熱く語ってくださったことは,取材に同行した学生にも深く響いたようである。 伊藤社長に,電気学会を含むいわゆる学会への要望を聞いたところ,「現在の仕事の中では,大学とのかかわりはあるが,学会とのかかわりはほとんど無い。周りを見渡しても現在の学会への入会は,研究発表や論文投稿などを行なうために大学あるいは大学院の時期に行なわれることが多いようである。学生時代に入会しなかった場合,必ずしも研究発表や論文投稿を目的としない社会人が入会しようとすると敷居が高く感じられる。学生時代に学会に入会していない技術者が入会しやすい学会となることを期待したい。」とコメントされた。学会会員が漸減している本学会においても,当に傾聴すべきコメントであろう。 末筆ながら,今回の取材を快くお引き受け頂き,取材にご協力頂いた,伊藤義雄社長ならびにファースト電子開発㈱の社員の皆様に心より御礼を申し上げます。図4 取材のときの様子(前列は伊藤社長(中央)と社員の皆様,後列は取材したメンバー) |
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